国連加盟国193ヵ国が参加し,国際プラスチック条約の締結に向けて討議する政府間交渉委員会(INC)の最終会合(第5回)は11月25日~12月1日に韓国の釜山で開催される。オープンな国際会議らしく,投票権のある加盟国以外にも,関係国際機関や環境保護団体などのNGOもオブザーバーとして自由に意見を述べることが許されている。
このため,2022年以降INCは4回開催されているが,プラスチック生産削減派と容認派が分かれ会合を重ねるにつれ,対立が深まりこれまで目に見える成果はほとんど得られていない。
ただ,ここにきてEUと米国両方でほぼ同時に,大きな動きが見られる。
化石由来バージンプラスチックの生産を抑制することは,廃棄プラスチック管理の最も効率的で費用対効果の高い手法の1つといわれている。そこで一部の加盟国やNGOが中心となり,‘Bridge to Busan’(釜山への橋)宣言を提出した。INC-5の前に政府間交渉の多数派を形成しようとする動きの一つで,これにEUと欧州諸国が署名したのだ。署名国はEUを含め,8月15日時点で33ヵ国(EUを含めた欧州各国,アフリカや南太平洋・インド洋の島嶼国)に達したが,現時点ではまだ少数派だ。この宣言の署名国は,プラスチックのライフサイクル全体にわたって廃棄物削減の義務と責任を果たすことが求められる。目的を果たすため,署名国は化石由来バージンプラスチックの生産を持続可能な水準に抑制し,サーキュラーエコノミーの理念の下にパリ協定の地球温暖化目標の+1.5℃を超えないことを目指す。また,情報やデータの透明性を徹底するために各国が発表する情報の客観性と精度アップを求め,コミットメントの進捗評価,必要に応じて優先順位の見直しも行う。参加者が最も懸念を示すと思われるのは,化石由来バージンプラスチックの生産枠の設定だ。
「釜山への橋」宣言には,プラスチックの生産大国である米国,カナダ,中東や中国を始めとするアジア諸国(日本を含む)の主要国はまだ署名していない。そのためこの宣言がどこまで機能するのか現時点では不透明だ。ただ現状のままINC-5を開催しても,条約締結の合意を参加各国から得ることは極めて難しい。途上国やオブザーバーの環境保護団体が強力に推すプラスチックの生産凍結や削減案に比べ,化石由来バージンプラスチックの生産量に上限枠を設定するアプローチは,条約締結に向けたより現実的な選択肢だ。EUが署名国に加わることで,プラスチックの減産の数値目標を設定することに強く反対する国々を説得し,条約締結に向けて一歩前進することが期待される。
EUがこの宣言の署名国に加わったのは,化石由来のバージンプラスチックの生産に歯止めをかけながら,不足する分は再生プラスチックの供給能力拡大に注力し,循環型社会に移行するという欧州グリーンディールとサーキュラー経済行動計画に沿ったものでもあるからだろう。
このような動きに対し,バイデン・ハリス政権が11月の国際プラスチック条約交渉(INC-5)において,プラスチック生産削減目標を支持し,これまでの米国の過去4回の交渉の立場から大きく転換することを8月15日付のロイター通信(https://00m.in/cmpal)がスクープした。これはその後,米国務省の報道官によって追認された。
この事自体は条約交渉合意に向けて大きな前進になるが,誰もがこの米国の唐突な方針転換に驚きを隠さない。
「米国政府はこうした国際交渉に対しては賢く,独自のアプローチを取ることで知られています。我々は次に何が起こるのか待つしかありません。米国政府はINC-5に先立って何らかの立場を表明するのか,あるいはUNEP事務局と文言の協議に入るのでしょうか?」とOcean Conservancyのプラスチック政策担当役員Anja Brandon(アンジャ・ブランドン)氏は,困惑気味に語る。
米国政府は「釜山への橋」宣言に対しては,まだ態度を明確にしていない。
「宣言」の原文は‘the signatories intend to achieve more sustainable levels of production for primary plastic polymers’で「署名国は化石由来バージンポリマーの生産量をより持続可能なレベルにすることを目指す」としている。宣言の別の個所では,‘Cap global primary plastic production’という表現もあり,筆者は「上限」と訳した。これは高野心国と削減反対国の両方にとって受入れ可能な表現だ。
一方,ロイター通信の報道は,‘US supports global target to reduce plastic production’となっている。もし「削減」という文言が米国政府の正式発表にも使われた場合(記事はロイター通信からの引用で,国務省報道官の正式コメントは,本稿作成時期には入手できていません),米国のプラスチック業界は納得しないだろう。既に多くの反対意見や批判が,民主党や政権幹部に寄せられている。
早速反応したのは米国化学協会(ACC)で,「この連邦政府の方針は,米国の雇用やプラスチック価格に大きな影響を及ぼすため,連邦議会上院で条約が批准できる見込みはない」と猛反発している。全米プラスチック協会も「世界のプラスチック生産を削減すれば,安価で,耐久性があり,安全・衛生性に優れる国民生活に欠かせない素材が入手困難になり,たちまち困るのは経済的弱者の途上国の人達だ」と指摘する。全米で100万人を雇用するプラスチック産業を敵に回せば,ハリスの当選は覚束なくなるだろう。
McKinseyが2018年12月に発表したレポート「化学企業を変革するプラスチックリサイクル:原題‘How plastics waste recycling could transform the chemical industry’」によれば,アジア,アフリカ,南米の開発途上国の急速な経済発展と人口増により,法規制の強化や代替素材への転換などで先進諸国の消費を思い切ってカットしても,世界のプラスチック需要は現在の4.5億トンから年率2%で増え続け,2040年に8億トン,2050年近傍には10億トンを超えると予測している(McKinseyはこの期間の世界のGDPの年平均成長率を3.1%,原油価格は75$/バレルで推移すると仮定している。2024年時点で,現実世界はこの予測カーブを辿っている)。
プラスチック全体の生産の削減と,化石由来バージンプラスチックの生産に上限を設けることは意味が全く違う。全米プラスチック協会が指摘するように,人口増が続き,経済成長が著しい途上国で,軽くて,安全・衛生性に優れ,耐久性があり繰り返し使用できるプラスチック製品の入手が困難になり,他の素材に比べ比較的安価であった価格が高騰すれば,彼らの日々の生活はたちまち行き詰まる。本当に目指すべきは化石由来バージンプラスチックの生産を抑制して,廃棄物の発生を減らし,リユース・リサイクルを徹底するとともに,代替素材・代替技術を開発し,成長性のある資源循環社会の実現に向けた合意形成をしていくことだろう。その意味で「釜山への橋」宣言は,難航する国際プラスチック条約の政府間交渉に打開の道を開くもので,欧州連合と米国政府の責任ある行動力と指導力が注目される。